突然ですが、皆さんは「音吉」という人物を知っていますか?
我が地元美浜町ではかなり有名で、
記念の慰霊碑があったり、名を冠したトライアスロンが開かれたりしたくらいです。
そんな有名人、皆知っているはずだと思い普通に話していると、
なんと!美浜町民以外には全然知られていないという事実が発覚しました。
そこで皆様に知っていただきたく、紹介をしていきます。
一言でまとめると聖書を日本語に訳した人なのですが、
そこまでには数々のドラマが・・・
以下(美浜町公式ウェブサイト『にっぽん音吉漂流の記』より)
1832年宝順丸という千石船に乗り江戸へ向かう途中嵐に遭い、太平洋を1年2か月も漂流した後アメリカ西海岸へ漂着。その後イギリス経由でマカオに送られ、そこでドイツ人宣教師ギュツラフの聖書の和訳に協力、翌年モリソン号に乗り日本へ。しかし浦賀、鹿児島で砲撃を受け帰国を断念。中国にて、多くの日本人漂流民の援助を行い送還の手助けをする。また、イギリス海軍の通訳として日英交渉に力をつくした。
そんな音吉の記念碑が、美浜町の小野浦地区にあるので行ってみました。
正式には、岩吉・久吉と合わせての三吉の頌徳記念碑らしいです。
そんな記念碑の横に看板が。
よく見ると音吉ではなく乙吉になっていますが、
公式ウェブサイトも音吉(または乙吉)となっているので、どちらも正解みたいです。
その看板の下の方に墓石は良参寺境内にとのことなので、いざ良参寺へ。
中に入るとすぐ看板が。
そして辺りも暗くなってきた頃ついにお墓?に、
お参りをして帰ってきました。
そして、この旅も無事に終わったとおもいきや、何と最後の慰霊碑が音吉の墓でないことが判明!!
最後の最後でやらかしてしまいましたが、なんとネットの便利な事、画像検索でしっかり出てきました。
そしてこの記事も本当に終わりですが、
美浜の有名人音吉の事、少しは分かってもらえたでしょうか。
便利なネットにはもっと詳しく載っているので、
興味の湧いた方は美浜町公式ウェブサイト『にっぽん音吉漂流の記』をご覧ください。
散歩したスタッフ:口田店 樋口