皆様こんにちは!!大東情報局です。
春爛漫!!一年中で一番美しく楽しい季節がやってまいりました~~~♪♪
春と言えば「さくら」!!お花見なんて最高ですね!!
又、各地では「春祭り」など、楽しいイベントも多数開催されていますね。
美味しいお酒に、美味しいおつまみなどが、何より楽しみです!!
さて、今回の情報局では、日本の歴史・城・神社仏閣の大・大・大好きな、私、久保田が趣味の『お城巡り』を、知多半島に限定して紹介していきます。
今までに私自身が巡った80ほどの城・城跡の中から、「阿久比町内」のお城だけをピックアップしましたので、最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

お城って、観るだけで癒されます!!凄くパワーが貰えます!!
お城の造形美に最大の魅力を感じます!!
築城当時の背景を考えただけでもワクワクします!!
観光スポット・パワースポットとして観るだけでも楽しいと思いますし、歴史・城・神社仏閣などに少しでも興味を持っていただけたら幸いです。
★★★愛知県 阿久比町のお城(城跡)★★★
◆『坂部城(さかべじょう)』 愛知県知多郡阿久比町卯坂字栗之木谷(阿久比町立図書館)
坂部城は、徳川家康の生母・於大の方の再婚先である久松氏の居城址です。
別名、「阿久比城(阿久居城)」とも呼ばれています。
築城年代は定かではないですが、一説に久松定益による築城とも云わります。
久松氏は菅原道真の後裔を称しています。
徳川家康の生母・於大の方は家康の父・松平広忠と離別した後、久松俊勝と再婚し康元・康俊・定勝らを産みました。
これらの子は後に徳川家康から松平姓を賜り、久松松平家として江戸時代には桑名藩主、伊予松山藩主となっています。
桶狭間合戦の後、久松俊勝は三河国上ノ郷城へ移り、坂部城は俊勝の子久松信俊に与えられました。
1577年、信俊は佐久間信盛に陥れられ大坂四天王寺にて切腹、坂部城は信盛の手勢によって攻め落とされ廃城となりました。
坂部城は阿久比川西岸の段丘の東端に築かれています。
現在、坂部城は半分が城祉公園、もう半分が阿久比町立図書館になっています。
記録によると、二重の堀があったそうですが、現在ではその遺構もよくわかりません。
わずかに土塁が残っています。
本丸跡には、於大の方が自ら栽培に励んだと伝わる「綿」の畑があります。
嫁いできた於大の方は綿作りに励んだと伝わっています。





隣接する阿久比町立図書館入口の所にかつての坂部城と城下町のジオラマが展示してあります。
ジオラマをよく見ると、ホントにこれだけの城郭があったのか?と驚くほどのできばえになっています。
そして坂部城の縄張り図も置いてあります(たぶん江戸時代のものです)。
コチラはご自由にいただくことができますよ。






◆『宮津城(みやづじょう)』 愛知県知多郡阿久比町大字宮津(秋葉神社)
宮津城は、1286年頃に新海氏によって築かれたと伝わります。
蒙古の大軍が北九州に来襲した「弘安の役」(1281年)で活躍した新海氏のお城です。
別名、「柳審城(りゅうしんじょう)」とも呼ばれています。
宮津城は現在秋葉神社が祀られている南北に延びた独立丘陵に築かれていました。
秋葉神社の祀られた南端が高く、北へ向かって段々と平地が伸びていますが、公園や畑による開墾の影響もあって遺構は明確には分かりませんでした。
南尾根に一条の堀切があり、その脇に竪堀状の溝が残っています。
秋葉神社の案内板には宮津城に関する記述が若干ですが書いてありました。
山頂の秋葉神社まで車道が通じていますが、集落内の道は狭いので気を付けてください。




◆『草木城(くさぎじょう)』 愛知県知多郡阿久比町大字草木字下竹林
城主は一色馬助と伝わります。
草木城は草木の下竹林集落の南にある比高10mほどの丘陵に築かれていた平山城です。
この小山は周囲から独立した形になっており、頂上からの眺めはお城の雰囲気があります。
そして北側には小さいですが小川が流れており、堀跡を想像させます。


どうでしょうか?
今回は私が実際に行ったことのある阿久比町内のお城だけを紹介しました。
地元・知多半島には、まだまだ他にも素晴らしい魅力のある『お城(城跡)』がたくさんありますので、又の機会に紹介させていただきたいと思います。
お城に興味のある方は、ぜひ行ってみてくださいね♪
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
記事担当:大東店 久保田







