こんにちは。
今回知多散歩を担当いたします東浜店の樋口です。
今回の訪問先は南知多豊浜にあります「日和山・貝がら公園」なんですが、
ここは東浜の服部次長が前から知多散歩で行きたいと言っていた場所で、
そのうち行くのかなと思っていたら、
「樋口主任、そういえば貝がら公園家から近かったよね。
ちょうどいいから行ってきてね!よろしくどうぞ~。」
と爽やかに言われました。
行きたいんじゃなかったのか、という疑問も多少ありますが、
私、樋口が行ってきました。
この「貝がら公園」は珍スポットとしてまあまあ有名でして、
県外や時には海外からも訪問者が来るという知多半島の中でも割と全国区なスポットなんです。
正直、私は地元から少し離れていますので、かなり前に一度行ったきりで、
そういえばそんな場所あったなってくらいの認識でしたが、
訪問時に一緒に行った奥さんは保育園の遠足で行った事があるらしく地元民には馴染みの場所なんだそうです。
その貝がら公園に行くには山を登らなければ行けません。
この山は日和山といって、その山の頂上に公園や神社があります。
山といっても標高69メートル(諸説あり)程度で低いのですが、
公園目指して登ってみると・・・結構キツかったです。
ここからスタート。
この年になると坂道がキツい・・・。
途中の景色は良かったです。
ちなみにこの坂道は綺麗に舗装してありますが、
これは津波が来た時の避難場所に使うために去年治山して綺麗になったそうです。
ワッセワッセと登っていくとだんだん道が荒れてきました。
最近はあまり人が来てないのでしょうか。
蜘蛛の巣も多くなってきたので木の枝でかき分けて登っていきました。
すると何やら公園が。
SOUTH PARKのSの文字が逆なのは、何か意味があるのでしょうか・・・??
遊具などが見えましたが草がボーボーで立ち入り禁止でした。
振り返るとこんな景色が。結構上まで来ましたね。
途中、建物を発見。昔は住んでたのでしょうか。
これは夜に来るとちょっと怖いですね・・・。
更に登っていくと徐々に貝がら公園らしくなってきました。
ほどなくして貝がらでできた?鳥居がお出ましです。
「白山神社」という神社みたいです。
貝がらが柱に並んで埋められている様は近くでみると、
少しゾワゾワ~っとしました(笑)。
粒々の集合体に恐怖を感じるトライポフォビアというやつでしょうか・・・。
気を取り直して更に進みます。
ここまで来ると海もかなり遠くなりとても良い景色です。
そしてメイン会場?に到着。
砲台や戦艦?ぽい物がありその全てが貝がらづくし。
まさに貝がら公園です。
戦艦は見晴台になっているみたいですが残念ながら立ち入り禁止でした。
その他休憩場所のテーブルやベンチももちろん貝がらづくし。
それにしても砲台にある、
「若人よ 明治につづけ(割れて読めないですが、たぶんつづけ)ど根性」
というのは・・・??ちょっとよく分からないですが、
なんだか心に染みます。若人ではないですが。
他にも何故か「河和営業所」と貝で書かれた柱も。
何かの営業所だったのでしょうか。
フと見ると、茂みの奥になにやらありますね。
この貝がら公園を作ったであろう方と寸記でした。
寸記は文章が難解で理解できませんでした。
帰りもまた来た道をワッセワッセと下っていきます。
この貝がら公園。
かなり久しぶりに来ましたが、以前よりずいぶん荒れてしまっているなと感じました。
登り道も草や蜘蛛の巣が多くあまり人が来た気配がありません。
SOUTH PARKや戦艦の展望台も立ち入り禁止になっており、
子供が登山がてら遊びに来るにもちょっと・・・という感じです。
調べてみた所、この公園はなんと約26年もかけて作られたそうです。
しかもおじいさんと息子さんの2人で・・・。
あの山道をあれだけの貝がらを運んでいろんな物を作る・・・、
実際行ってみて、これはかなり大変な作業だったんだろうなと思います。
いろいろと謎な物があったり、そもそも何故貝がらで作るのか・・・、
などちょっと(かなり)変わっており、そういった部分で珍スポットとして、
有名になったと思うんですが造形物は立派だし、かなりの信念を持って作ったんだと思います。
管理も難しいのでしょうが、このまま朽ち果てていくのは、
とてももったいない場所だと思います。
途中までは津波対策で綺麗になっていますので、
なんとかこの公園も綺麗に復活してもらって、
いつかあの戦艦の見晴台から海を眺めてみたいな~と思いました。
散歩したスタッフ:東浜店 樋口