皆様こんにちは。
今回の知多散歩は森岡店の私(水野)が担当させていただきます。
『亀城公園』を訪れたのは3月末で、
ちょうど桜が開花して満開に近付いてきており、
気候も暖かく公園内を散策するには絶好の時でした。
毎年花見に色々な所へ行きましたが、
近年は歳のせいか安近短なこの場所がお気に入りになっております。
桜の名所だけあり今年も綺麗な桜を咲かせてくれていました。
いつもは桜を見て屋台で食べ物など買って写真を撮り終わっていましたが、
改めて園内をゆっくりと見てみると色々な物が見えてきました。
『亀城公園』の名前の由来・・・
『亀城公園』の「亀城」とは、刈谷城が別名「亀城」と呼ばれていたことに由来しているそうです。
1553年(天文2年)水野忠政が築城した刈谷城跡を、
1936年(昭和11年)当時の刈谷町(現・刈谷市)が譲り受け、
本丸と二の丸の一部を公園化したそうです。
太平洋戦争中は本丸の高台が高射砲陣地として使用され荒地となっていたものの、
1969年(昭和44年)に本丸跡にあたる高台一帯を回遊式日本庭園として整備するなど、
幾度かの植栽や整備が行われ現在の姿となったみたいです。
また、隅櫓や石垣を復元する再整備計画があり、
刈谷市歴史博物館、隅櫓や石垣の完成をめざしているようです。
現在、刈谷城の姿はありませんが、お堀跡の城池、小亀池が城址の面影を残しています。
『豊田佐吉胸像』
豊田自動車の原点、トヨタグループの創始者の豊田佐吉の胸像がありました。
豊田式自動織機を発明した佐吉翁が、大正12年、同期を据え付けた試験工場を、
この地に建設したことがきっかけとなって、刈谷は工業都市として大きな発展を遂げたそうです。
ものづくり愛知の歴史も垣間見えました。
『亀城公園本丸跡』
現在はお城としての天守閣はないですが、高台より眼下を見渡せば、
広大な戦国ロマンを感じずにはいられません。
西に尾張の織田、東に海道一の弓取り今川義元に挟まれて如何に生きながらえるか、敵は目前まで迫っています。
忠政の心中を察すると言葉に表せません。
水野忠政は36歳で刈谷城にて戦死したそうですが、後に孫の竹千代が世も末の戦国乱世に終止符を打ち、
天下泰平の世の中を作り上げるとは夢にも思っては無かったでしょう。
公園内に『クジャク』
子どもが遊ぶ遊具の隣にクジャクが2羽いました。珍しい光景でした。
お城に隣接する公園敷地内に『刈谷球場』『刈谷市体育館』
カキーンと心地いい打球音とウグイス嬢の場内アナウンスが聞こえてきました。
中を覗いてみると高校球児が試合をしていました。
まさに球春到来!しばらく選手たちのはつらつとしたプレーに目を奪われていました。
青春っていいですね。
『刈谷球場』の歴史は古く1950年、刈谷市営競技場として開場したそうです。
高校野球、社会人野球などアマチュア公式戦の他に、春にはプロ野球のオープン戦でも使用されています。
開業当初は中日ドラゴンズ主催のプロ野球公式戦も行われたことがあるそうです。
この刈谷球場に昨年の6月には愛知招待試合で早稲田実業高校・清宮幸太郎選手が来ていました。
刈谷球場では2試合で3本塁打も放ち、
高校通算99本塁打として大台の100号本塁打に王手をかける事になりました。
普段は静かな刈谷球場も清宮フィーバーで湧き上がっていたようです。
訪れた方が多いとは思いますが、近くにお寄りの際にはぜひお立ち寄りください。
散歩したスタッフ:森岡店 水野