みなさまこんにちは♪
パリオリンピック開催中ですね。
寝不足の日々が続いている方も多いのではないでしょうか?
私は浅く広くですが、スポーツ観戦がとっても好きで、この記事を書いている今は、まだ開催前の7月中旬なのですが、どんな感動シーンを見られるかとてもワクワクしています。
過去にもたくさんの感動がありました。
個人的によく覚えているシーンはというと
バルセロナオリンピック柔道、左ひざを負傷し痛み止めの注射を打ちながら金メダルを獲得した古賀稔彦。
私はこのころにはオリンピックが大好きな少年に育っており、中でも柔道は好きな種目でした。
古賀さんは小柄ながら体重無差別の試合にも挑んでいて、大きな選手を見事な一本背負いでバシバシ投げ飛ばしていました。
そんな姿を見て大好きになり、金メダルを獲得したときはすごく嬉しかったです。
正式種目として最後の開催となった北京オリンピック女子ソフトボール、絶対王者アメリカを倒しての金メダル。
2日間で3試合を1人で投げぬいた上野を称えた「上野の413球」は流行語にもなりましたね。
白血病を克服し、東京オリンピックの出場を果たした池江璃花子。
東京オリンピックの前に白血病と発表があったときには本当に衝撃が走りました。
そんなことがあっていいのかと。
退院後初プールの練習動画を見たときは、ビックリするぐらい痩せ細ってしまっていたので、さすがにレースに復帰するまではだいぶ時間がかかるだろうと思っていました。
東京オリンピックが1年延期になったことも後押ししましたが、まさかこんなに早く世界の舞台に戻る日が来るなんて。
オリンピック選考レースとなった2021年の日本選手権で優勝して泣き崩れているシーン、その後のインタビューはとても感動しました。
これ以外にも挙げればキリがないほどです。
上記に挙げたのは、とても有名でまだ記憶に残っている方も多いと思いますが、これから挙げるのは、あまり有名じゃない?もしくは忘れ去られてしまったかも?というシーンをご紹介したいと思います。
【2000年シドニーオリンピック井上康生 表彰式】
前年に亡くした母親の名前を帯に縫い込み、オール1本勝ちで金メダルを獲得した井上康生。
表彰式に遺影を持っていけるか係員に確認します。
本来なら遺影のガラスが危険物とみなされ持ち込めないはずでしたが、係員の女性が「ジャージの中に隠していきなさい。私は何も見ていません。」と機転を利かしてくれ表彰台の1番高いところから母親の遺影を掲げることができました。
(表彰式は1:34~)
【1992年バルセロナオリンピック男子400m準決勝デレク・レドモンド】
レース中に肉離れを起こし1度はその場でうずくまるも、再度足を引きずりながら走り出すイギリスのデレク・レドモンド。
そのシーンをじっと見ていられない1人の男が場内に進入してレイモンドに駆け寄ります。
レイモンドの父親です。
2人でゴールまで歩くシーンは涙なしでは見られません。
【2021年東京オリンピック男子走高跳2つの金メダル】
カタールのムタズエサ・バルシムとイタリアのジャンマルコ・タンベリは2.37mを1度のジャンプで成功していましたが、オリンピック記録となる2.39mを3度失敗しました。
その後、本来はどちらかが成功するまで続けられる「ジャンプオフ」が行われるはずでしたが、バルシムは審判員に「金メダルを2つもらえるか?」と尋ね、審判員はうなずきました。
ルール上、どちらかが決着を望めばジャンプオフを行わなければならず、今までのほとんどでジャンプオフが選択されてきました。
しかし、バルシムとタンベリは大の親友。
そしてお互い過去にケガで悩まされた経験を持つ同志。
バルシムは「1つの金メダルよりいいものを知っているか? ふたつ(の金メダル)だ!」との思いでそれを提案しました。
2つの金メダルが確定した後に抱き合うシーン、狂うように喜ぶタンベリの姿はとても感動的ですね。
パリではどんなシーンが見られるか楽しみです。
最後に、私が今までのオリンピックで1番感動したシーンを。
あまりにも有名なシーンですが、やっぱり真央ちゃんです(冬季ですが)。
真央ちゃんには誰も勝てません。
他の選手には大変申し訳ないのですが、このソチで真央ちゃんが金メダルを取ってくれたら日本のメダルは他になにもいらないぐらい応援していました。
残念ながらSPでミスをしてしまい、メダルはほぼ絶望的な状況でしたが、そんな中でフリーでは完ぺきな演技を見せてくれました。
フリー演技後の涙には多くの人がもらい泣きしたことでしょう。
これはいつ見ても何回見ても泣けてきます。
この涙に真央ちゃんの競技人生の苦悩と解放のすべてが詰まっていると感じました。
記事担当:大東店 森岡