誰もが知る織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、戦国時代を終結させた三英傑(さんえいけつ)として有名です。
今回訪れた碧南市大浜とは関係はないのですが、
今話題になっている「岐阜市産業・農業祭~ぎふ信長まつり~」で「信長公騎馬武者行列」が行われ、
岐阜ゆかりの戦国武将「織田信長公役」として木村拓哉さん「福富平太郎貞家役」として伊藤英明さんが行列参加します。
かなりの反響みたいです。
さて、本題に戻りまして、なぜ碧南市の大浜が豊臣秀吉、徳川家康のゆかりの地か?
豊臣秀吉については天下統一後の朝鮮出兵際に船の造船地ががここ、大浜にありました。
徳川家康は、幼名「竹千代」の命名をおこなった寺「称名寺」がある地や、
あの有名な「伊賀越え三河上陸の地」としてゆかりがあります。
伊賀越え三河上陸の地はあとで少しご紹介します。
その、碧南市大浜で令和4年10月16日(日)に「大浜てらまちウォーキング」が開催されていました。
このエリアには、10のお寺が集まっていて、それぞれ歴史や伝統があります。
お寺巡りをしながらスタンプラリーも楽しめます。
さらにお寺巡りをしながら、キッチンカーや催し物の数々を楽しむことができます。
「人力車に乗ろう!」「てらまちコスプレまつり」「てらまち縁日」などなど、色々と楽しめます。
たまたま千と千尋の神隠しに登場する「カオナシ」や人力車に遭遇。
色々散策していると、とある物が目に飛び込んできました。
「なんだ?なんだ!この昭和的な手作りのゲーム機は!」
凄くよく作れていて、ついついパシャリと撮影。
1回10円でコスパもGood!小さい子に大人気で並んでいました。
この日には、この地区の山車祭りも同時開催されていました。
大浜中区稲荷社の例祭です。少し山車の紹介をします。
この山車は古く、亀崎の田中組神楽車の古車を譲り受けた山車が現在でも大切にされています。
この地域はコロナ禍でお祭りが出来ない状態が続いていますが、今回は山車展示するまでに至りました。
地域の人により、今回山車の修繕を行い綺麗にしたようです。
現在からくり人形は修繕中との事でした。
ここでは、山車組さんのオリジナルグッズも販売していました。
山車を見ていたと時に、たまたま凄く良い光景に遭遇しましたのでご紹介します。
山車組の人が山車について色々と説明していた姿と、それを真剣に聞いていた若い世代の人の姿でした。
子々孫々と伝えていかなければ伝統や歴史も途絶えてしまいます。
当然ながら、この説明している山車組の人も先人に色々と教えをもらったからこそ、
今の世代に伝える教える事ができますね。
この山車が展示しているところが、徳川家康の「伊賀越え三河上陸の地」になります。
伊賀越えの定説についてざっくり説明します。
天正10年6月、織田信長が本能寺で明智光秀の謀反にあい、命を落としました。
そのとき徳川家康は摂津国堺(現・大阪府堺市)の町にいました。
信長の死を聞いた家康は、自国の三河への帰還を目指します。
伊賀国から伊勢国長太に向かい、そこで乗船し、
伊勢湾を横断⇒三河国大浜⇒岡崎城へと無事、帰還しました。(※諸説あり)
その道中の三河国大浜こそが、この大浜中区稲荷社です。
今回、散歩をしていて、賑わいがコロナ禍前に徐々に戻ってきているように思いました。
まだまだ感染対策を緩めるには難しいと思いますが、
主催者も参加者も笑顔で楽しんでいたのがすごく印象に残りました。
来年のこの時期には、大浜てらまちウォーキングをお忘れなく。
なお、2022年11月19日(土)15:30より「碧南大浜湊シンポジウム」が開催されます。
戦国時代隆盛を極め、長く栄えた巨大港「大浜湊」そこにあった出来事に迫る2時間半、
・第一部 小和田哲男先生の講演
・第二部 パネルディスカッション
碧南市芸術文化ホール・シアターサウス(碧南市鶴見町1-70-1)にて行われます。
興味のある方はWEB・電話申し込みが出来ますのでお問い合わせください。
2023年 大河ドラマ「どうする家康」に決定しましたね。
徳川家康ゆかりの地、碧南市大浜から目が離せないですね。
ドラマ内で伊賀越えの場面はあるのか??
勝手に期待しておきます。
散歩したスタッフ:本部 堀尾