みなさん、こんにちは。りんくう情報局の時間です。
平成も残すところ、1ヶ月を切りました。
この記事が公開されている頃には新しい元号が発表されていると思います。
ところで、この『元号』最初はなんだったの?って思った方、さては日本史が苦手ですね!!
最初の元号は『大化』です。
孝徳天皇が即位した時につけた、記念すべき最初の元号です!
聞いたことがありますよね?
645年(蒸し殺し)大化の改新。
大化の改新は『大化』に起こったから大化の改新です。
今から1374年前の出来事で、
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、
朝廷内で大イバリの蘇我氏を滅亡に追いやったアレです。
私たち(40歳前後の人)は645年の出来事と学校で習いましたが、
近年大化の改新は646年に起こったとの研究結果が出たそうです。
語呂を付けるなら『髪の毛むしる大化の改新』といったところでしょうか…。
ちなみに今では、天皇が変わる時に元号が変わっていますが、昔はそうではなかったんです。
良いことがあったり、悪いことがあった時に元号が変わっていたようです。
また、歴史上の出来事にも元号が用いられる事も多く、有名なのは『応仁・文明の乱』
どんな事があったか、気になりますよね??
詳細はコチラをご覧ください。
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他に元号を用いた有名?な乱と言えば『壬申(じんしん)の乱』
こちらは、大友皇子(おおとものおうじ)と大海人皇子(おおあまのおうじ)が、天智天皇の後継者を巡って争いました。
さっき紹介した中大兄皇子が即位して『天智天皇』になったわけです。
ちなみに、大友皇子は天智天皇の息子、大海人皇子は天智天皇の弟(諸説あり)。
実は、この『壬申の乱』の約1000年後、ほぼ同じ場所で有名な戦(いくさ)が行われたんです。
答えはコチラ
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そう!関ヶ原の戦い。関ヶ原の地は戦がしやすいみたいですね。
私も一度試してみようと思います。
ところで、この『壬申の乱』どちらが勝ったかというと…。
勝者は大海人皇子、即位して『天武天皇』になりました。
ちなみに、大友皇子は明治時代に『弘文天皇』の名を送られています。
ただ、実際に即位したかどうかは不明で『大友皇子』と表記される事が多いそうです。
他の様々な時代にも『元号』を用いた出来事が多いですが、
またいつかりんくう情報局でお話できる時があればその時に…。
この記事をご覧の歴史好きの方は何か面白い歴史話があれば、
りんくう店、飯田に教えてくださいね。
お返しにりんくう店に設置中の歴史をモチーフにした台をオススメさせて頂きます!!
りんくうエンジニア一同、新しい元号になり、
さらに『あつあつ元気』を発信していきますので、どうぞご期待ください!!
記事担当:りんくう店 飯田