一年で1番過ごしやすい季節『秋』がやってきましたね。
1年中秋であってほしいと誰もが願うのではないでしょうか??
そんな過ごしやすい秋に昔、実は有名な戦が行われていました。
みなさんご存じ『関ヶ原の戦い』です。
覚えていますか?
りんくう情報局で『関ヶ原の戦い』について紹介したことを…。
この記事を読めば、『関ヶ原の戦い』について知ることが出来ると思いますので、併せてご覧ください!
ちなみに、少し前に関ヶ原の戦いを題材にしたぱちんこ台が出たことはみなさんご存じかと思います。
きっとメーカーさんがりんくう情報局の私の記事を見て「ぱちんこ台にしたいっっ!」と思って作った事でしょう。
私の情報局を見てリリースされたぱちんこ台は『P戦国乙女6 暁の関ヶ原』。
何度か私も打ったことのある台ですが、1度単発を引いたぐらいで、
ラッシュに入ったことが無い、すこぶる相性の悪い台です…。
以前の情報局で石田三成を演じたので戦国乙女のミツナリが怒ったかもしれません…。
ゴメンナサイ…。
みなさんから連チャンしたという話を沢山聞いて、羨ましく思います…。
詳しいゲーム性は『DMMぱちタウン』さんをご覧ください。
【DMMぱちタウン】
https://p-town.dmm.com/machines/3688
また、戦国乙女ポータルにて、『P戦国乙女6 暁の関ヶ原』のストーリーが
紹介されていましたので、こちらもご覧ください。
【戦国乙女ポータル】
http://otome-portal.com/sengoku/story/otome6/
なるほど、相関図なども載っていてどのようなストーリーになっているかよくわかります。
歴史好きの私から見て夢の共演です。
実際に同じ時代にこれらの武将が存在していたら、日本の歴史が大きく変わっていたかもしれませんね。
まぁ、その時代に生きていた人々は俯瞰で事象を読み取ることが出来ませんので、
俯瞰で見る事が出来る私が、それぞれの武将の気持ちを勝手に代弁してみようと思います。
あくまで、勝手に代弁しているだけなので、あしからず。
では、ここから本題(茶番)です。
特に関ヶ原の戦いで活躍した武将ではなく、私の独断でチョイスした面々が登場します。
まずは、愛知県が生んだ3英傑にインタビューを決行しましょう!
まずは、現在でも高い人気を誇る『織田ノブナガ』さん。
怒らせないように、ヨイショしながらインタビューをしましょう。
インタビュアー:
ノブナガさん、現在では、あなたは超絶スーパーヒーローとして語り継がれていますが、
この件に関してどのようにお考えでしょうか??
ノブナガ:
我は冷酷無比、第六天魔王などと恐れられておったが、そのようなことはない。
ただ、無能な者が気に入らぬだけ、今の世で言う『合理主義者』なだけじゃ。
ヒデヨシもカツイエも織田家の歯車の一部なだけじゃ。
インタビュアー:
色々と革命的な事をしてきましたね。
『楽市楽座』や『関所の廃止』などは特筆すべきかと思います。
ノブナガ:
我が考えたように思われておるが、楽市楽座などは六角殿が先に行っておったが、
我はクオリティを上げたものに仕上げただけじゃ。
インタビュアー:
既成概念を覆した様に思いましたが、色々な所から学んで実行したわけですね。あっぱれ!!
続いては、ノブナガさんの遺志を受け継ぎ、天下統一を果たした『豊臣ヒデヨシ』さん。
ヒデヨシ:
ワシの事を『サル』って言わんでほしいがね。どえりゃ~傷つくもんでよ~。
おみゃ~さん、自分の事をサルって言われたらどう思う?
インタビュアー:
確かに嫌ですね。(どっちかっていうとヒデヨシさんはネズミっぽいな~。)
そんな事より、天下統一おめでとうございました。
文禄・慶長の役は、やはり必要だったとお考えでしょうか?
ヒデヨシ:
天下統一したら、なぁ~んもやる事なくなったもんでよぉ~。
ワシがもうちょっと若かったらインドくらいまで手中に収められたと思っとったけど…、寿命には逆らえんかったわ。
天命を全うした後は、ヒデヨリの事がどえりゃ~心配で雲の上から見とったわ。
インタビュアー:
豊臣家も2代で終わってしまいましたからね。
大阪の陣では、ヒデヨリさんにもうちょっと頑張ってほしかったですね。
ユキムラさんの活躍もありましたが、なんとも残念な結果に終わりましたね。
続いて、徳川200年の礎を築いた『徳川イエヤス』さん
インタビュアー:
イエヤスさん、関ヶ原の戦いと大坂の陣、お疲れ様でした。
征夷大将軍になった後の各大名の配置は絶妙でしたね。
イエヤス:
うむ、耐えに耐え、忍びに忍んだ結果じゃとワシは思っておる。
ワシが考えた大名の配置が幕末にあんなことになろうとは…。
ただし、大政奉還までしっかりと徳川家の威信は保たれたと思っておる。
若かりし頃の三方ヶ原の戦いが唯一のトラウマじゃ。
やっぱり、シンゲン殿は強かったのぅ。
インタビュアー:
あ~、あれの件ですか…、後世にもしっかりと語り継がれていますよ(笑)
イエヤス:
あれだけは無かったことにしたいもんじゃ。
関ヶ原の戦いで、西軍の指揮を取ったもののイエヤスさんに敗れた『石田ミツナリ』さん。
ミツナリ:
あぁ~っ!悔しい!!ヒデアキがあんなことしなければ勝てたのにぃ~!
アイツめ、亡き太閤のご恩を忘れやがって!!絶対許さんぞぉ~!!
インタビュアー:
だいぶ荒れていますね…、話しかけるのが怖いのでソッとしておきましょう。サヨウナラ。
続いては、3英傑の時代の少し前に活躍した、
こちらの有名武将の二人にもインタビューしていきましょう。
まずは、川中島の戦いで死闘を繰り広げた『甲斐の虎』こと『武田シンゲン』さん。
インタビュアー:シンゲンさん、後世での評価についてどう思われていますか??
シンゲン:
武田軍の強さもさることながら、ワシの様々なネーミングセンスも、
我が名を有名かつ伝説的にさせたんじゃと思うぞ。
インタビュアー:
有名な所だと『風林火山』ですね。
シンゲン:
左様、他にも『赤備え』や『武田24将』なども有名じゃ、
如何に未来の者に武田家が凄かったかを残す事が大事だと思ったんじゃ。
『甲陽軍鑑』なども後世の者にしっかりと伝わり、
「武田家ヤベぇ~」と思わせる事が出来たと思っておる。
最強の軍を持っていた事が伝わったのではないかと思っておる。
インタビュアー:
確かに、存命中に自力で切り取った国は甲斐と信濃の2国だけでしたからね。
私は、結構負け戦も多い印象を持っています。
それでもここまでの評価を構成で出来ているのは素晴らしいと思います。
武田家をアゲることがしっかりできていたと思いますよ。
シンゲン:
あとはライバルがおった事も、後の世に我が名を轟かせたのではなかろうか?
あとでケンシン殿に聞いてみるとよかろう。
インタビュアー:
では、越後まで行って参ります。ありがとうございました。
続いて、『越後の龍』こと『上杉ケンシン』さん。
インタビュアー:
ケンシンさん、こんにちは!
あなたの後世での評価についてどう思われますか??
ケンシン:
そうじゃのう、後世に於いて、我は色々な憶測が飛び交っておる様じゃのう。
我が生きていた時代にワイドショーがあったら毎日ネタにされておったことであろう。
実際がどうだったかは、皆の者の想像に任せるとしよう。
インタビュアー:
気になる部分ではありますね。
ご本人の意思を尊重して聞かない事にしましょう。
あと、ケンシンさんは群を抜いて戦に強いイメージがありますが、
この件に関して、どのようにお考えでしょうか?
ケンシン:
我は毘沙門天の化身、我に敵う者などおらんと思っておる。
ノブナガ殿も我には相当ビビッておったかわからんが、洛中洛外図を送ってきたこともあったのぅ。
それでも、ヨシアキ公の意に反した行動を取ったからコテンパンにしてやったがな。ハハハハッ。
インタビュアー:
さすが軍神、容赦ないですね。
最後になぜ、妻帯されなかったのですか?
ケンシン:
それは、今の世に於いてハラスメントになるぞ。
実際の事は想像に任せると言うたであろう!
失礼な奴は帰るのじゃ!!
インタビュアー:
ヒィ~っっ!ごめんなさぁ~い。サヨウナラ~。
と、ここまで私の妄想をお伝えしてまいりましたが、あくまで妄想なのであしからず。
ただ、インタビューした武将の皆さんは、今の時代まで語り継がれる正に歴史上の人物です。
細かく掘り下げていくと、まだまだたくさんのエピソードがありますので、
気になった方は色々調べてみると歴史が大好きになるかもしれません。
私は今宵も彼らの事を考えながら、美味い酒(洋酒)をいただく事にします。
それではまた、りんくう歴史情報局をお楽しみに…。
記事担当:りんくう店 飯田