みなさんこんにちは!
突然ですが、りんくう店には感謝のりんくう5つの約束というものがあります。
その中の1つに『チームワーク』に関する約束があり、今からかれこれ5年前にりんくうエンジニアのチームワークを深めるためにこのような事を行いました…。
5年も経つと顔ぶれも変わり、この記事の事を知らないエンジニアたちも増えてきました。
「みんなコミュニケーションしっかりとれてるかなぁ~?」
という心配が出てきたので、久しぶりにチームワークを深めていこうと思います。
今回は『川中島の戦い』にスポットを当てエンジニア達でこの戦いを説明していきます。
~川中島の戦い~
戦国時代、日本は数多くの武将たちの野望と戦いの舞台となりました。
みなさんも聞いたことがある『武田信玄』と『上杉謙信』も野望を抱き、領土を拡大していきました。
この二人の武将の名を世に知らしめたと言っても過言ではないのが『川中島の戦い』です。
川中島の戦いは都合5度行われ、特に戦闘が激しかったのが「第四次川中島の戦い」となります。
ここで、武田信玄・上杉謙信両武将について、私の『推しエピソード』について軽く紹介させて頂きます。
信玄は『風林火山』や『武田二十四将』飯富虎昌が率いた騎馬部隊『赤備え』など、ネーミングセンスもバツグンで更に知略に長けた武将。
一方の謙信は飯綱権現を信仰し、自らを『毘沙門天の化身』と語る豪快な人物。
戦に生きた人生の中で敗戦は約70戦した中の2度のみ!
自身を毘沙門天の化身と語るのも納得の結果だと思います。
そんな武勇高い信玄と謙信という戦国の雄が対峙し、その戦略を駆使した壮絶な戦いが繰り広げられました。
そもそも、この二大武将が衝突する原因は信濃国支配への野望でした。
信玄は甲斐を拠点に勢力を拡大し、信濃への進出を図りました。その一環として、川中島の制圧が重要視されました。
一方の謙信は越後の領地を拠点にし、信濃への進出を狙い、信玄との対決を避ける事ができませんでした。
1561年、第四次川中島の戦いが始まります。
信玄はこの戦いで、いわゆる『啄木鳥戦法』(きつつきせんぽう)を使用しました。
啄木鳥戦法とは、キツツキが木をつついて驚いて飛び出してきた虫をとらえるように、武田軍の別働隊に上杉軍のいる妻女山を攻めさせ、山の麓から降りてきたところを本隊と共に挟み撃ちするという戦法です。
ただ、謙信も軍略に長けており、啄木鳥戦法が行われる直前に敵軍の異変を事前に察知し陣取っていた妻女山を降ります。
妻女山に武田軍が攻め込むとそこはもぬけの殻となっていて、さすが謙信!といったところでしょうか?
それだけにとどまらず、川中島のちょうど中間、八幡原に布陣していた武田軍の目の前まで軍を進めます。
ここまできたらもう戦闘は避けられません。
奇襲返しを行なった上杉軍は次々と武田軍を撃破していきます!
ただこの時信玄は、奇襲部隊が戻ってきたら挟撃(挟み撃ち)ができると思い、また謙信も奇襲部隊が戻ってくる事を想定していたので、その前に決着を着けようと考えていました。
これが第四次川中島の戦いが激しくなった要因だとされています。
ここで、両軍の兵力について補足すると…。
武田軍:約20,000人
上杉軍:約13,000人
※諸説あり
知略に長けた両武将がこれだけの兵を動かすには戦いの陣形も重要になってきます。
武田軍
~鶴翼の陣~
※下図はイメージ
鶴翼の陣とは鶴が翼を広げたような陣形。アルファベットのVを少し広げたような形です。
防御に適しており、敵軍より兵力が少ない場合に用いられることが多いようです。
上杉軍
~車懸かりの陣~
※下図はイメージ
車懸仮の陣は車輪が回転するようにぐるぐると移動しながら敵を攻撃する陣形です。
攻撃した後に次の部隊と入れ替わり絶え間なく攻撃するという陣形で、かなりの鍛錬を積まないとなかなか使用するのが難しい陣形となっています。
と、ここで先ほどの両軍の兵力を見てみると、防御型の鶴翼の陣は兵力が多い武田軍が使用し、逆に兵力が少ない上杉軍が攻撃型の陣形を取っていますね。
これもこの戦いが激しさを増した要因の1つとされています。
また、この戦で信玄と謙信の一騎打ちがあったとされています。
通常、戦において負傷した兵はその場に残されて殺されることがほぼ無く、戦死者数は少ないのですが、この戦いでは武田軍20,000名の内、4,600名が死亡、負傷者は13,000名に及び、上杉軍も3,400名が死亡、6,000名が負傷というまさに痛み分けの結果となりました。
過去3度の小競り合いがあったものの、大きな戦に発展しなかったのは、両武将の戦における確かな目があったからだと思います。
この戦のあともう一度両軍が対峙することがありましたが、お互いの力を思い知ってか、大きな戦に発展することはありませんでした。
第四次川中島の戦いは、武田信玄と上杉謙信、2人の武将が織り成す壮大な戦となりました。
戦国時代の舞台で繰り広げられた両武将の戦略と武勇は、日本の歴史の中でも有名な戦として知られています。
この戦いの両武将の武勇はきっと私たちりんくうエンジニアに、より一層のチームワーク向上を図るために知恵と勇気を与えくれる…
と私は信じています……。
記事担当:りんくう店 信玄も謙信も好きな飯田