皆さんこんにちは!
今回は平間がお届けします!
突然ですが、皆さんは「ゴーストオブツシマ」というゲームをご存知ですか?
2020年7月に発売されたプレイステーションソフトで、
1274年に起きた元寇(文永の役)を題材にしたオープンワールドのアクションアドベンチャーゲームになります。
舞台は「長崎県の対馬(つしま)」なんですが、実はここ、僕の故郷なんです(o^^o)/
今年の夏、3年ぶりに帰省した際にこのゲームの聖地と呼ばれている場所に行ってみましたので、
今回はその様子をお伝えしたいと思います♪
目次
・蒙古襲来
・実際の小茂田浜
・小茂田浜神社
・宗助国公騎馬像
・おまけ
蒙古襲来
物語は冒頭、元軍(蒙古)が日本を征服すべく、
その前哨戦として、対馬の小茂田浜(こもだはま)へと押し寄せる場面から始まります。
対馬国地頭の志村家当主率いる武士団は果敢に立ち向かいますが、圧倒的兵力差の前に全滅。
大将の志村は捕虜となります。
主人公は武士団に加わっていたもののなんとか生き延び、伯父でもある志村と対馬を救うべく立ち上がって…
という流れでストーリーは展開していきます。
僕も実際にプレイしたのですが、手に汗握る展開の連続と、
操作感と爽快感抜群のアクション、広大で美しい世界にあっという間に惹き込まれていきました。
2021年ゲーム大賞にも選ばれた、まさしく神ゲーと呼ぶに相応しいゲームだと思います♪
興味を持たれた方は是非1度プレイしてみて下さい☆
実際の小茂田浜
物語始まりの地、小茂田浜。
現在も海水浴場として残っているとの事で、実際に見に行ってみました。
750年程前の出来事なので流石に当時の面影は残っていませんが、
この海の向こうに元軍の大船団が押し寄せたのかと思うと、当時の武士の気持ちを想像せずにはいられません。
その数なんと軍船約900艘、兵力は約33,000人とも言われています!
きっとこの海を軍船が覆い尽くしていたのでしょう。
それに対して対馬側の兵力は、なんとたったの80人だったそうです。
80人 VS 33,000人…
絶望的すぎて僕だったら迷わず逃げちゃいます:(´ºωº`):
※当時とは地形が変わっていて、この場所から更に内陸部が合戦場だったと言われています。
小茂田浜神社
小茂田浜のすぐ傍に、元寇で命を落とした武士達を祀る神社があります。
小茂田浜神社です。
実際に対馬を守る為戦ったのは、守護代の宗助国(そうすけくに)という人物でした。
彼は齢60以上の高齢ながらも兵を率いて元軍に立ち向かい、命を落とします。
その様子を伝えた「元寇奮戦図」が立ててありました。
次のような内容が書いてあります。
“宗助国は蒙古襲来に備えて兵80騎を率い待ち構えた。
蒙古・漢軍元帥の忽敦(クドゥン)は兵25,000人を、
高麗元帥の金方慶(キム・バンギョン)は兵8,000人を率いて連合軍で小茂田浜へやって来た。
助国は通訳を介して対馬にやって来た理由を問うたが返事はなく、矢を放たれて兵1,000人余りが上陸してきた。
助国はすぐさま応戦し、兵を率いて数十人を倒す。
力尽きるまで応戦したものの、遂には敗れ命を落とすのだった。”
勝ち目のない戦いだとわかっていても民を守るため立ち向かうその覚悟、これこそ武士道ではないでしょうか。
対馬は日本を守る為の最前線の拠点であり、要所だったのだと改めて実感させられました。
宗助国公騎馬像
神社の傍らに宗助国公の騎馬像が建立されていました。
写真だと分かりにくいと思いますがかなり大きく、その存在感に圧倒されました。
対馬の方々がいかに宗助国公をリスペクトしているかが伺い知れます。
この近くに慰霊碑もあったので、対馬を守るために戦って下さった武士達へ手を合わせさせていただきました。
本当に頭が上がらない思いです。
おまけ
いかがだったでしょうか。
今回はちょっとだけ歴史に触れてみました。
対馬で育った僕も知らなかった内容もあり、僕自身とても勉強になると共に、
過去の歴史があるからこそ今があるのだと改めて考えさせられる内容でした。
ちなみに、今回の内容はNHKの人気番組、「ブラタモリ」でも取り上げられていましたよ(^^♪
専門家の案内の下、よりマニアックな内容が語られていて非常に興味深かったです。
最後におまけとして、ゴーストオブツシマでも話題になった対馬の美しい景色をお届けしたいと思います♪
ここまで読んで頂きありがとうございました!
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記事担当:衣浦店 平間