皆様こんにちは、阿野店情報局です。
愛知県にも緊急事態宣言が発令され、
連日のようにコロナ感染者数が過去最多を記録し続けている状況です。(5月14日現在)
パチンコ店では幸いにも今までクラスターの発生等はなく、何とか営業を続けてられている事に感謝したいです。
スポーツ観戦なども、上限5000人等で最低限継続出来ているみたいですね。
さて、今回は「私が中日ドラゴンズファンになった理由」です。
生まれも育ちも愛知県の私にとって、幼少期から中日ドラゴンズが身近に感じられたので、
不思議な話ではないのですが、やはり父の影響が大きいと思います。
父は学生時代野球部に所属していて野球が大好きでした。
私にも野球をやって欲しかったようで、小学校低学年の頃からボールを恐がる私に無理やりキャッチボールをやらせ、
速い球が何度も顔に当たり、ボールを取り損ねて土手や溝に転落した事もありました。
そのような状況だったので私は野球をプレーする事に恐怖感を抱いてしまい、
部活動やその他のクラブ活動でも野球を選択する事はありませんでした。
プロ野球観戦にしても、父はドラゴンズの勝敗に一喜一憂し、
勝利すると大声で騒ぎ、敗北すると不機嫌になるような人物でしたので、
幼少の頃は「野球」というものにあまり良いイメージを持つことができませんでした。
しかし、1988年に落合選手や郭源治選手の活躍により優勝したドラゴンズを目の当たりにすると、
何故か一気に興味が湧き、家にあった中日スポーツを毎朝必ずチェックするようになりました。
父とも何度もナゴヤ球場に足を運んで一緒に観戦するようになり、野球談議で盛り上がる事も多くなりました。
最近はコロナの影響でなかなか行けていませんが、コロナ以前は今でも父とナゴヤドームに観戦に行っていました。
ビールを飲んで気分が良くなり大声で応援している姿を見ると、人は30年経っても変わらないと改めて思い知りました。
さて、そんな最近の中日ドラゴンズですが5月14日現在では厳しい状況です。
1988年に優勝してからはこれまた厳しい時代が続いていて、
子供の頃は1999年に優勝するまでの間、10・8決戦で盛り上がった年もありましたが、
なかなか優勝からは遠ざかっている時期が続きました。
近年のドラゴンズファンが一番楽しかったのが、
何と言っても2004年以降の落合監督時代ではないでしょうか?
子供の頃に中日ファンとしてのめり込むきっかけになった落合選手が監督として帰ってくる。
2004年の就任1年目には「補強はいらない。現有戦力を10%底上げすれば優勝できる!」と会見で語り、
まさにその通りに優勝してしまったのを見て感動した記憶があります。
落合監督時代の8年間で優勝4回・日本一1回と、まさに黄金期を迎えていたドラゴンズ。
あの頃は夜にニュースなどで結果を確認しても、特にナゴヤドームの試合では、
かなりの勝率の高さで勝っていることが多く、ファンとしては最高の時代でした。
2012年以降は苦しい時期が続いていますが何とか頑張って欲しいですね。
そんな中日ドラゴンズにも明るいニュースが!
5月4日には根尾選手がプロ初ホームランをグランドスラムで放つという快挙を達成!
この時のヒーローインタビューで、
「生んでくれた両親に感謝したい。母の日のプレゼントを持って行きました!」
と語ってくれた根尾選手。
まだ若いのにかなりしっかりとした印象で、人柄にもとても好感が持てます。
中日ファンはほとんどの人が根尾選手の事が好きでしょう。
根尾選手と石川選手が打線の中軸を担って優勝するシーンを想像しているファンはかなり多いと思います。
私の小学生の息子は、家で私がテレビ観戦をしている時に、
勝利すると大声で騒ぎ、敗北すると不機嫌になる姿を見て(あれっ、これでは30年前の父と同じではないか!)、
プロ野球にあまり良いイメージを抱いていないかもしれません。
そんな息子でも興味が湧いて応援したくなるようなチームになるように、根尾選手や石川選手には期待してしまいます。
頑張れ!ドラゴンズ!
記事担当:阿野店 森下