「秋のイカは生まれたばかりで警戒心が弱く、初心者でも簡単に釣れます。」
この言葉を真に受けた私は、釣り道具を一式買い揃えて、
意気揚々と何度も海に繰り出してはみるものの、まったく釣れる気配がない。
だが不思議なことに釣れない日が続くほど、
釣りに行きたいという欲求が増してくる。
寝る前にスマホで釣りの動画を見ては研究し、
釣れると評価が高いエギを見つけては、ついつい購入してしまう。
おかげで釣れてもいないのに、道具だけはどんどん増えていくという始末。
まったく、釣り具メーカーの良いカモである。
釣りを始めてみて気付いたことは、釣り人は気の良い人が多いということだ。
釣りには、やはり情報収集というのが大事であり、私のようにネットで調べたり、
動画を見るだけではなく、実際に足を運び現場の状況を目で見て、
人からの情報も収集するのが大切だということを多くの釣り人が心得ている。
なので私も釣りをしていると、よく話しかけられたりするのだが、
まず「あいさつ」から始まり、そのあとには決まって私の1番恐れている言葉が飛んでくる。
「釣れてますか?」
これ以上、人を惨めにさせる言葉が、ほかにあるだろうか?
この言葉を恐れるあまり、よく釣れるという1級ポイントには入らず、
人がいそうにもない3級4級ポイントばかりに入ってしまう。
それでは釣れなくてあたりまえか。
このまま秋のシーズンが、終わってしまうのではないか?
こんなに道具を揃えたのにノーヒットでシーズンを終えてしまったら嫁に何と言われるのやら。
最近では、こんなことばかり考えてしまい発狂しそうである。
これは、もう呑まねばなるまい。
この病を鎮めるには、それしかないだろう。
さて、どこで呑もうか。。。
1人で呑むか?だれか誘うか?
呑むと決めて、あれこれ考えていくだけで徐々にではあるが、心が晴れやかになってくる。
まだ呑んでもいないのにこの効果。やはり酒は偉大である。
考えを巡らせているうちに、たぶん酒場なんだろうなと、
だいぶ前から気になっていた店が1軒あることを思い出した。
家からも近い。そこまで酔わなければ歩いてでも帰れる。
よし、決まりだ。
そのお店は、名鉄青山駅のすぐ近くに建っていた。
大通りから1本中に入った道路沿いにあるのであまり目立つ場所ではないだろう。
それなのになぜ、そこのお店が気になっていたかというと、なんとも不思議な外装をしているからであった。
お店の上にヨットが乗っている。
これを一度でも見てしまったら気にならざるを得ないだろう。
夜中の1時を過ぎた時間であったが、外の明かりは煌々としていた。
看板には『Cruising Bar Rudder』クルージングバー ラダーとある。
営業していたので安堵を手に入れることはできたが、
それと同時に、この中は一体どうなっているのだろうという緊張感が襲ってきた。
ドアが重い。
実際に重厚にできているだろうが、緊張感がより一層重みを感じさせる。
「いらっしゃいませ。」
客との会話の途中だったであろうバーテンがカウンターへ手を差し伸べた。
席に着き軽く周りを見渡す。
店内は薄暗く、カウンターには他に1人の客が2組いた。
カウンターが10席ぐらいとテーブル席が2つあり、マスターが1人で営むこじんまりとしたBARだった。
クルージングバーとは、こういうことだったのか!
ヨットの船内で酒を楽しむという演出になっていた。
1人で呑むのにはちょうどいい。今夜呑むのに理想のBARではないか。
おしぼりを受け取りギネスを注文した。
最初の1杯は、ギネスにしとけばいいと思いはじめたのはいつからだろう。
若かりし頃、居酒屋で呑みを覚えてレストランバーでカクテルに興味を持ち、
BARで酒の魅力にハマっていった。
その頃は、まず最初に何を注文しようか、次に何を飲もうかと、
まるで意中の女性に会う前に洋服をコーディネイトするかのように心躍りながら考えたものだ。
ここ何年も、そんな気持ちは失われていた。
今日も何も考えずにギネスを注文した。
だが、なぜか今夜はそんな若かりし頃の気持ちが懐かしく思えた。
よし、今夜はそんな気持ちに戻ってみるのも悪くない。
良さげなBARに出会えたことで、そんな気分になっていた。
ギネスを飲み干す前に考える。
2杯目は何を飲むべきか。
そこには理由が無くてはならない。
2杯目はカクテルを注文した。
手際よくカクテルを作るマスターの姿を視界の隅に捕えながらタバコをふかす。
まじまじと見ていたいのだが、それではやはりスマートではないだろう。
ギネスを飲み干し、2杯目に注文したのはジン・フィズであった。
このジン・フィズは、ジン、レモンジュース、砂糖をシェイクし、
ソーダを注ぐだけのシンプルなカクテルだが、
これを飲めばその店のカクテルの傾向が、だいたい分かる。
初めて訪ねた店で注文するには、うってつけのカクテルだろう。
口を付け一気に3口ほど流し込む。
ジンがしっかり効いている。
ほどよい酸味と、かすかな甘味。
自分の好みに寸分の狂いがなく、思わず唸り声をあげるところだった。
カクテルというのは、店それぞれでレシピの違いがある。
材料の銘柄、分量などの違いで随分とデキが違ってくる。
これは良し悪しではなく、好みの問題である。
久しぶりに酒の味をしっかり感じさせるロングカクテルに出会えた。
どうも最近は、飲みやすさを重視する傾向のあまり、
酒が効いていないカクテルが多いことに、不満を感じていたところであった。
そして、この清涼感を作り出している酸味と甘味。
酸味は、フレッシュのレモンジュースを使っているため、変に鼻につかない。
しかし、もう1つの甘みが分からない。
だいたい、どこのジン・フィズでもそれなりの甘さを感じる。
だが、それが強すぎてしまうのはあまり得意ではない。
ここのジン・フィズは、砂糖が入っていないのではと思わせるような口当たりから、
徐々にかすかな甘みを感じていき、そして後味には消えていく。
なんとも不思議な甘さだった。
その正体はグラニュー糖であった。
パウダーやシロップではなく、あえて溶けにくいグラニュー糖を使っていたのであった。
ここのマスターはかなりの辛党らしい。
なるほど。悪くない。
となれば3杯目もカクテルだ。
ジン・フィズが好みでなければウイスキーを頼もうと思っていたが、その必要はない。
3杯目はギムレットを注文した。
目の前に置かれたカクテルグラスに注ぎ込まれる。
ギムレットというカクテルは、どんなライムジュースを使うかで好みが二分される。
オフィシャルのレシピではコーディアルという甘味を加えたライムジュースを使うとなっており、
その場合は当然、甘く、これこそがギムレットだという人も多い。
または、ギムレット(錐)の名のように突き刺す鋭いイメージを表現するため、
フレッシュのライムジュースを使用している店も多い。
その場合、たいていは砂糖を少々加えるのだが、やはり砂糖が効きすぎているのは得意ではない。
ここのギムレットは、もはや言うまでもないだろう。
グラスに口を付け1口で半分ほど煽る。
口中に広がるライムの強い酸味。そのあとのジンの余韻。
あのジン・フィズを作る店なのだ。あたりまえの味である。
『ギムレットには早すぎる』
この、あまりにも有名な台詞が登場する、
レイモンド・チャンドラーの代表作『長いお別れ』の中で、
テリー・レノックスは、
『本当のギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ、他には何も入れないんだ』
と言った。
おもしろい。
ここのギムレットとは、全く逆ではないか。
そんなことを考えながらギムレットを飲み干した。
次の酒を頼みたい気も強いが、初めての店だ。あまり酔うべきではない。
今日は、ここまでにしておこう。
店を後にし、すっかり肌寒くなった秋の空気を感じながら歩きだす。
気が付けば釣りのことは頭から離れ、すがすがしい気分になっていた。
散歩したスタッフ:駅前店 森岡
Cruising Bar Rudder(クルージング・バー・ラダー)
基本情報
住所:〒475-0837 愛知県半田市有楽町4丁目224-3
電話:0569-21-5663
定休日:日曜日
営業時間:18:00~翌2:00
外部リンク
Cruising Bar Rudder ぐるなび: リンク先を開く
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