皆様こんにちは!!大東情報局です。
いよいよ6月が始まり暑い日も多くなりましたが、皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか??
最高気温が30°に迫る日もあり熱中症になるリスクも増えてきますので、こまめな水分補給などをして、体調管理には十分に気をつけて下さいね。
さて、今回の情報局では、日本の歴史・城・神社仏閣の大・大・大好きな、私、久保田が趣味の『お城巡り』を、知多半島に限定して紹介していきます。
今までに、私自身が巡った75ほどの城・城跡の中から、「知多市内」のお城だけをピックアップしましたので、最後までお付き合いのほど宜しくお願いいたします。
お城って、観るだけで癒されます!!凄くパワーが貰えます!!
お城の造形美に最大の魅力を感じます!!
築城当時の背景を考えただけでもワクワクします!!
観光スポット・パワースポットとして観るだけでも楽しいと思いますし、歴史・城・神社仏閣などに少しでも興味を持って頂けたら幸いです。
◆『大草城(おおくさじょう)』 愛知県知多市大草字東屋敷(大草公園)
大草城は、織田信長の実弟、織田長益(有楽斎)が築城をしようとして途中で断念した「幻の城」です。
1582年の本能寺の変の後、尾張国は信長の次男・信雄が領し、この地は信長の弟・長益に与えられました。
最初、長益は大野城(常滑市)に入りましたが、大野城は戦国時代の山城で水利が悪く住むには適さなかったので、大草城を築き始めます。
しかし1584年の小牧・長久手の合戦後、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕える事になり摂津(大阪府三島郡)に移封されました。
このため大草城は普請されただけで、築城されませんでした。
現在は、知多市に大草公園として整備され、本丸跡に伊勢湾を一望できる模擬天守(展望台)が建っており無料で入ることが出来ます。
周囲には土塁と水堀が残っており古城の面影を存分に残し、土塁上や水堀脇に遊歩道が設けられています。
又、本丸・二の丸と周囲の土塁・堀の大部分がほぼ完全な形で残されており、このような保存状態の良い城跡は、愛知県内でも数少ないと言われています。
大草城は完成したお城ではありませんが、築城途中の遺構がとても多く残っており、凄く楽しめる見応えのある城跡だと思います。
◆『寺本城(てらもとじょう)』 愛知県知多市八幡町字堀之内(津島神社)
築城年代は定かではないですが、この地の土豪・花井氏によって築かれたと云われます。
津島神社の棟札には、1443年に花井信忠が建立したとあることから、この頃にはすでに花井氏がこの辺りに勢力を持っていたと考えられます。
花井氏ははじめ織田氏に従っていましたが、桶狭間合戦で今川義元が村木砦を築いた後、今川氏になびき織田方の緒川城攻めに荷担しました。
その後、桶狭間合戦で織田信長が勝った後は再び織田氏に従ったそうです。
時は流れて1600年の関ヶ原合戦時、鳥羽城主・九鬼喜隆によって西知多が襲われ、寺本城は落城。
花井氏は信濃国(長野県)に逃れ、後にまた尾張へ帰ってきたそうです。
お城は八幡町堀之内地区の小山に築かれていたと伝わります。
山頂には津島神社が祀られ東西に伸びた削平地があり、周囲にも平坦面が残っていますが、堀などの遺構は残っていません。
低い山にしては周囲が急峻な地形で、北にはかつて伝兵衛山があり、東にも尾崎山という小山が隣接し、家臣の屋敷などがあったそうです。
◆『佐布里城(そうりじょう)』 愛知県知多市佐布里字竹ヶ鼻(佐布里ダム記念館)
現在、佐布里城跡は開発され、「佐布里ダム記念館」となり遺構は全く残っていませんが、「佐分利古城趾」の看板が建っています。
看板の裏側には1221年頃に大庭氏が築き、1498年頃には平朝臣宗宣が城主であったと書かれています。
佐布里城跡と伝わるこの場所は、周囲より高く、近くを流れる信濃川が天然の堀に見え、お城の雰囲気が残っています。
どうでしょうか?
今回は私が実際に行った事のある知多市内のお城だけを紹介しました。
地元・知多半島には、まだまだ他にも素晴らしい魅力のあるお城(城跡)が沢山ありますので、又の機会に紹介させて頂きたいと思います。
お城に興味のある方は、是非行ってみて下さいね♪
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
記事担当:大東店 久保田