皆様こんにちは!!大東情報局です。
最近は、穏やかで過ごしやすい季節となりました。皆様はどんな秋をお過ごしでしょうか?
11月は気候が良く、各地では旬の美味しい食べ物を頂くイベントも多数開催されます。
又、秋の花々に紅葉と、目にも舌にもとても楽しい季節ですね。
さて、突然ですが「パチスロのリールには、なぜフルーツ図柄があるのか?」
そんな疑問を持った事はないですか?
今回の情報局では、私達が普段あたり前にビシバシ揃えているスイカやチェリーは一体どこから来たのか?そのルーツやパチスロの歴史について調べてみました。
パチスロの原型は海外のスロットマシンから来ているのはご存じだと思いますが、史上初のスロットマシンは、アメリカで開発を行なっていたチャールズ・フェイという人物によって、1899年に作成された「リバティ・ベル」だったそうです。
ここで「3つのリールが回転し、図柄が揃うとコインが払い出される」という基本動作が完成されたそうです。
この時の図柄にはまだフルーツは存在せず、「ベル」・「星」・「蹄鉄(ていてつ)」・「トランプマーク」等がシンボル。
また「3つのリール」等の機械的な基本要件以外にも、各メーカーが競うように自社製品に「ベル」という名前を付けたことにより、3リールのスロットマシンを象徴する代名詞的な言葉として「ベル」が定着。
その後、当時のスロットマシンメーカー最大手であるシカゴのハーバード・ミルズ・アーケードマシン社が『ガム自販機を取り付けたスロットマシン』を発売。
その過程で誕生した「リバティ・ベル・ガム・フルーツ」において、初めてスロットマシンの図柄にフルーツが登場。
「オレンジ」「レモン」「プラム」「サクランボ」などの図柄が描かれたそうです。
そしてその時採用された図柄の中の一つ、「ガムをモチーフにした長方形の図柄」が後に「BAR」という文字列に変化したそうです。
こうした経緯により誕生した図柄たちは現在まで120年以上に渡って脈々と受け継がれることになりました。
う~ん「リバティ・ベル」のガム自販機搭載機フルーツ味バージョン!!
みたいな感じで誕生したのですね♪♪
ガムではない別の自販機だったらフルーツ図柄にはなって無かったと思います。
また当時のスロットマシンは、当たりでガムが大量に出てくるわけではなく、1回のゲームについてガムを必ず1個払い出し、ゲームの結果によって別の景品などと交換する事が出来るシステムだったそうです。
なんだか、今の日本と似た方法で運営されていたのですね。
スロットマシン日本上陸の歴史についても調べてみたのですが、はっきりとした時期は分からないものの、1945年以降に、日本に駐留するアメリカ軍が沖縄に持ち込んだものが、日本での始まりとされています。
景品と交換可能なスロットマシンとして稼働していたそうです。
その後、日本で正式に営業許可を受けたスロットマシンは、1964年、東京オリンピックが開催された年に登場した初代スロット「オリンピアゲームマシン」です。
1980年には、パチスロ「0号機」尚球社の「パチスロパルサー」が登場。
いよいよ「パチンコ型スロットマシン」、略して「パチスロ」の登場となったのです。
「パチスロパルサー」にはまだBIGボーナスは存在せず、3種類のレギュラーボーナスが搭載。
「リーチ目」という概念も誕生。
また「スイカ図柄」なども取り入れられ、初のパチスロにして、現在まで受け継がれる数多くの画期的な構造・機能が盛り込まれました。
パルサーブランドは尚球社(現・岡崎産業)によって生み出され、日活興業(現・ネット)そして山佐へと、3メーカーによって継承されています。
いや~とても勉強になりました0(^^)0
今回はパチスロの歴史についても少しだけ触れましたが、調べて見ると興味のある面白い話が沢山ありますので、又の機会に紹介させて頂きたいと思います。
それでは、次回の情報局もお楽しみに~♪♪
記事担当:大東店 久保田