こんにちは!住吉情報局です。
タイトルを見たら、この記事かと間違えるかもしれませんが、違いますのでお間違えなくお願いします。
では、『帰ってきた!スギトラマン!』というタイトルの意味ですが、この度りんくう店から住吉店へ転勤してきた「杉浦」が記事を担当させて頂くからです。
帰ってきたという事は以前、住吉店で勤務していたことになりますが、なんと約20年ぶりに住吉店に帰ってきた事になります。
20年という月日は非常に長い時間で、以前働いていた時のスタッフは役職以外では一人もおらず、その時のスタッフは元気にしているのかと考えてしまいます。
20年前の写真でも貼ろうかと思い探しましたが、今みたいにスマホで簡単に撮れる時代では無かったので見つかりませんでした・・・
20年前は、住吉店という考えはなく、2店舗が並んでいても、住吉北店と住吉南店で全く別という考えだったので、転勤してきた当初はだいぶ変わったなという印象でした。
そして、20年前の事を思い出します。
20年前といったら、パチンコは『CR海物語6』が大人気で、パチンコ台の半分近くは海物語6でしたね。
スロットは4号機時代、大量獲得機の『大花火』、CT機の『アステカ』、30パイコインの『シオサイ-30』などが人気でした。
20年前はパチンコ台で遊技をする前に、500円硬貨に両替をして玉貸し機に硬貨を入れていました。
大当たりをすれば、ドル箱に玉をいれ、満タンになればスタッフを呼び、空のドル箱に交換をしてもらう。
止める時は、スタッフを呼び、ドル箱を通路にある計数機に玉を流していました。
今では、大当たりした出玉で遊技し続けることや、出玉の台移動は自由でしたが、当時は「ラッキーナンバー制」という営業形態が普通でした。
ラッキーナンバー制を知らない人に説明しますと、当時のパチンコは「通常当たり」と「確変当たり」の2種類のみでした。
初当たり時、通常当たりでは、大当たり後は出玉の交換が必要です。
確変当たりだった場合のみ出玉で遊技し続ける事が可能でした。
ただ確変終了後、次に当たった時、特定の数字の通常当たりを引いてしまったら、
大当たり後、出玉を全部交換する必要があったんです。
なので、スタッフの誰かしらが、交換をしていましたね。
今の時代では遊技台に座ったら両替をする必要もなく、お札を玉貸し機に入れて、出玉で遊技し続ける事ができるので、スタッフを呼ぶ機会はほとんどなくなりましたね。
ただ住吉南店では、現在もパチンコ台は硬貨に両替をして遊技をします。
100円硬貨も使えるので1円パチンコでも大量に玉が出てしまうなんてことはないですよ。
もちろん大当たりして出た玉はドル箱に入れて、交換する時は計数機に流します。
また、出玉の途中交換はなく、台移動も自由です。
最近パチンコを知った人は、見た事ないが古い設備だと思われるでしょうが、メンテナンスをしっかりしており、住吉南店では現役選手です!
また住吉北店は新しい設備を整えていますので、両替等はしなくても遊技できます。
逆に硬貨は使用できないのでご注意下さい。
毎日どちらかは必ず営業していますので、行ったけど休みだったという心配もありません。
設置台数も2店舗合わせて872台あります。
【住吉南店】
・4円パチンコ・・・160台
・1円パチンコ・・・200台
・20円スロット・・・72台
【住吉北店】
・4円パチンコ・・・200台
・1円パチンコ・・・80台
・20円スロット・・・120台
・5円スロット・・・40台
また、住吉店は両店とも歴史のある店舗です。
今は、住吉北店と住吉南店の店名になっていますが、オープン当初は住吉店とニュー住吉店という名前でした。
店名が変わる前は、私はまだ有楽に勤めていなかったのでよく遊技をしに来ていましたね。
では、どちらがニュー住吉店でしょうか?
正解は住吉南店でした!
今では、古い設備になってしまいましたが、当時はニューだったんですよ。
両店はいつオープンしたかと言いますと、
住吉北店(住吉店) ・・・・・1982年8月30日
住吉南店(ニュー住吉店)・・・1994年8月29日
住吉南店の方が、後にオープンしたから、ニュー住吉店だったんです。
また、いつ店名が変わったかと言いますと、西暦2000年に住吉北店は一度建て替えをして、これを機に店名が変更になりました。
たまたまだったかもしれませんが、オープン月は両店とも8月だったんです。
両店とも今月が周年月だったんです!
今月末で、住吉北店は41周年、住吉南店は29年が経ちます。
今後とも住吉店を宜しくお願い致します!
住吉店へのご来店をお待ちしております。
記事担当:住吉店 杉浦