あをによし
奈良の都は咲く花のにほうがごとく
今さかりなり
奈良時代、日本の首都であった奈良の都の繁栄ぶりを示す歌として有名ですね。
なんと20万人の人口を誇る当時世界最大の都市の一つであったそうです。
しかし、この奈良の都も710年の遷都から約80年でその役目を終え、
平安京にその座を譲る事になるのです。
日本有史1500年余りの内、奈良の都が輝きを放ったのは半世紀余りでしかなかったのです。
しかしながら、奈良時代に栄えた天平文化は今も尚、
東大寺大仏殿をはじめ、数々の文化遺産が現在まで形を留め、日本人に愛されているのです。
さて、そんな歴史ロマンに思いを馳せつつ、
我々の属するぱちんこ業界の歴史をひも解いてみますと、
ぱちんこ屋の発祥は1930年と言われています。
戦前にもぱちんこ屋があったなんて、ちょっとびっくりしますね。
現在2013年という事は、ぱちんこの歴史も約80年、
天平文化と肩を並べる大衆文化になっているというのは言い過ぎでしょうか?
有楽グループも知多半島に根をおろし、半世紀がたとうとしています。
知多半島に於いて有楽グループは
確固たるぱちんこ文化の形成に一役買ったといっても過言ではないでしょう。
私たちはそんなぱちんこ文化を形成する一員に名を連ねている事に
もっと喜びを感じてもいいんじゃないでしょうか?
100年後の日本人にもぱちんこが愛されている事を願って・・・
新田店情報局記事担当は最近奈良へ旅行に出掛け、こんな事を思ったのでした。
記事担当:新田店 三谷