みなさんこんにちは☆今回の住吉情報局は矢野が担当します。
6月になりました。
変わりやすい天気、上下する気温も落ち着き、梅雨から夏へ移りますが、みなさんは健康に過ごされているでしょうか?
この記事が公開される6月3日、なんとなくこの時期について調べていたところ、
今から158年前(1864年6月5日)に京都で歴史的有名な事件がありました。
日本史に詳しい方はピンときたかもしれませんね…『池田屋事件』です。
池田屋事件といえば、
江戸倒幕をもくろむ“尊王攘夷派”の会合場所に、幕府の京都治安維持部隊「新選組」が襲撃した事件です。
この辺のお話は詳しい方がいらっしゃるので、浅い知識の私は語れませんが、
ここで出てきた「新選組」という組織とその運営を見てみたいと思います。
そもそも「新選組」がどのような背景でできたのか?
江戸末期にアメリカから圧力をかけられ、天皇の許可なく独断でアメリカと不平等な条約を結んだ幕府に対して、
各地で不満が高まり、幕府に対する反対運動が広がりました(尊王攘夷運動)。
そんな反対派からクーデターを図ろうとする過激な人たちが京都に集まり、当時の京都は治安が悪かったと言われています。
天皇訪問でそんな危険な京都へ向かう将軍(14代:家茂)警護のために、大勢の浪士(武士)が集められました。
その浪士集団の中に新選組のメンバーがいました。
しかし、この浪士集団結成自体が尊王攘夷派へ加勢するという陰謀であり、
こんな幕府に対する背信行為には従えないと、浪士集団を脱退したメンバーがこの後新選組となります。
では、新選組の主要メンバーはどんな人がいたのか?
初代筆頭局長:芹沢 鴨(せりざわ かも)
新選組局長といえば近藤 勇が有名ですが、
初期の新選組はこの芹沢鴨率いる“芹沢派”と近藤の道場仲間“近藤派”に分かれていて、
それぞれのリーダーである芹沢と近藤が局長を勤めましたが、芹沢の方が序列で上でした。
かなり粗暴な性格で問題行動が多かったそうです。
そんな問題あるトップでは、隊は乱れるということで近藤派によって処刑されました。
局長:近藤 勇(こんどう いさみ)
こちらが有名な局長さんですね。
剣術道場「試衛館」主人であり、剣術も強かったのは言うまでもありません。
物怖じしない性格でどっしり構えていたので、道場仲間からの人望も厚かったそうです。
芹沢派が一掃された後、局長としてトップになりました。
副長:新美 錦(にいみ にしき)
新美は芹沢鴨の右腕的な存在で“芹沢派”のナンバー2でした。
剣術も強かったと言われていますが、芹沢の腰ぎんちゃく的な印象が持たれています。
芹沢と同じく問題行動が多かったのですが、規律違反切腹を命じられました。
副長:土方 歳三(ひじかた としぞう)
新選組といえばこの人ですね。近藤と義兄弟の契りを交わし、近藤に尽くし、近藤の為に動いた人物です。
「鬼の副長」といわれ規律に厳しく、規律違反者は容赦なく処罰したそうですが、
統率力に優れていて組織を実質まとめ上げていました。
副長(総長):山南 敬助(やまなみ けいすけ)
後にナンバー3の“総長”になる山南は、剣術が強い上に学問も精通している文武両道な人でした。
柔和な優しい性格で懐が深く、下の若い隊員だけでなく女性や子供からも慕われていたそうです。
違反行為である隊の脱走で切腹しましたが、脱走の理由や切腹までの経緯など謎の多い人物といわれています。
一番隊組長:沖田 総司(おきた そうじ)
こちらも有名な人ですね。
年少なのに天才的剣術の実力で強さはトップクラスと言われていました。
明るい性格で普段は陽気でしたが、
若くして肺結核で病死したというはかないイメージも相まって、人気の隊士のひとりになっています。
二番隊組長:永倉 新八(ながくら しんぱち)
新選組の戦歴でほぼ全戦で活躍した、隊内最強剣士と言われました。
信念が強く曲がったことが許せないがむしゃらな性格で、局長の近藤にも物申したそうです。
大正時代まで存命で新選組いちばんの長生きでした。
三番隊組長:斎藤 一(さいとう はじめ)
こちらも永倉と同じく大正時代まで生き延びた隊士です。
永倉や沖田に次ぐ剣の強さと言われましたが、物静かで目立たない存在でした。
そのため隠密行動など新選組の陰の仕事をしたなど、ミステリアスな部分もあります。
と、まあ主要メンバーの一部だけでもこんだけ長くなってしまいましたので、この辺で終わりにします。
それでは、このように急きょ集められた浪士が、どうして短期間で統率のとれた強い新選組となったのか?
私が考えるには、芹沢派の粛清や山南敬助の切腹などから分かるように、
【厳しい規則】と【違反者の処罰】が近藤&土方によって徹底されたことが大きいと思います。
これを現代のスポーツチームや会社組織に置き換えても、通じるものがあるんではないでしょうか。
じゃあ新選組の運営法は現代でもお手本とすべきか?ということの答えは、
新選組が解体されていくまでの過程を見れば分かると思います。
「鬼の副長」土方の徹底した規律性と近藤局長のワンマンぶりに、隊士の不満が次第に広がっていくことになりました。
実際に永倉や斎藤など、主要な幹部も離反していくことになりました。
一時的な強い結束力を発揮した新選組も、短期間でのほころびを見ることによって、
組織運営には【規律性】と【自主性】のバランスが大事なことが分かります。
大企業・小企業、工場、店舗など、いろいろな人で構成される集合体は、それぞれ規則があり、
軍隊さながらの厳しい規律性の会社もあれば、自主性の高い会社もあります。
業種や職種にもよりますが、
そこで構成される人が最大限に力を発揮できる環境が、いちばん理想であることは間違いありません。
新選組への理想や憧れはありますが、少なくとも今自分が所属する組織(店舗)では、
仲間が離反することなくメンバーみんなが個々の能力を最大限に発揮できる環境でありたいと思います。
記事担当:住吉店 矢野