今回の情報局を担当する大西です。宜しくお願い致します。
この記事を出す頃は梅雨明けして暑くなっているのではないでしょうか?
暑さに負けないように頑張っていきましょう!
今回の情報局はなんと、宝くじについて紹介していきたいと思います。
さて、なぜ?今回の情報局は宝くじなのか?について軽く昔話を・・・
学校を卒業したのちに働いていた前の会社の先輩が、凄く占いに興味がある人で、
愛知県の大須にある占いの館(正式名は分かりませんが‥)を薦められました。
この占い師さんは当時(30年前位)のことですが、凄いおばあさんだった事を覚えています。
愛知県でも凄く有名で、1週間に2~3人位しか占わない方だったみたいで、
2~3か月くらい待ってやっと占ってもらいました。
当時の私は、凄い貧血持ちでよく倒れたりしていたのですが・・・
その占い師さん曰く、おじいちゃんが血で亡くなった事も関係性があり、
頻繫に貧血に襲われるでしょうって言われました。
占い師さんにおじいちゃんを呼び出してもらい、血が充満され、それからは一度も貧血等で倒れなくなったのです。
さて、ここから先が本題ですが、その時、これからの事を軽く占ってもらい、
「50歳ぐらいになったら宝くじを買ってみてね!」と言われました。
そのことがきっかけで、宝くじ購入が私の趣味の一つになりました。
でも、案外当たらないものですね(笑)
まあボチボチの回収はあるほうですが。
それでは宝くじについて軽く触れていきたいと思います。
日本では古くは江戸時代などにおいて、神社や寺の修復費用を集めるなどの目的で富籤が発行されたのが始めで、
日中戦争の時代には、戦費調達のために制定された臨時調整法資金に基づき、
「福券」や「勝札」が発行されたこともあったようです。
*宝くじの歴史*
1944年9月 当時の根拠法である臨時資金調達に基づき、「福券」として発売された。
1945年 名前を「勝札」(かちふだ)に変更して発売したが、8月の抽選前に第二次世界大戦に敗戦し、”負札”の異名をとる。
10月 最初の政府宝くじが発売される。物資不足のため、副賞の賞品、タバコや金巾がもてはやされた。
1946年 臨時資金調整法が改定され、政府のほか全国都道府県も宝くじの発売が可能となる。
1947年3月 第1回東京都復興宝くじ発売。
12月 勧業銀行は100万円の宝くじを発売。
1948年7月 3月に廃止された「臨時資金調整法」に代わり、現在の根拠法である「当せん金附証票法」制定され、政府命令での発売から銀行が業務を受託する方式となった。
1964年 財団法人日本宝くじ協会が発足。
1974年 受託銀行である日本勧業銀行が第一銀行と統合、第一勧業銀行となる。
1979年8月 第151回全国自治宝くじに「サマージャンボ宝くじ」の愛称、
11月 第154回全国自治宝くじに「年末ジャンボ宝くじ」の愛称が付き、特別くじは正式に「ジャンボ宝くじ」と呼ばれるようになる。
1989年 1等と前後賞の当せん金が合わせて1億円に達する。
1994年 「ナンバーズ」発売。
1999年 「ミニロト」発売。
2000年 「ロト6」発売。
ざっとこんな感じです。
続いて、宝くじの種類についてですが、現在の宝くじには、
大きく分けて「開封くじ」、「被封くじ(スクラッチ)」、「数字選択式宝くじ」と3つの方式があるそうです。
説明は、長くなりそうですので、割愛します。
さて、ジャンボ宝くじの当選確率ですが・・・
1等 約1000万分の1
前後賞 約500万分の1
2等 約1000万分の3
3等 約10万分の1
組違い賞・4等 約1000万分の1099
5等 100分の1
6等 10分の1
1等なんて当たる気がしないけど・・・全国には必ず当たっている方がいますからね(その運が欲しいですね)。
ここで愛知県で良く当たると言われている宝くじ売り場を紹介したいと思います。
・名駅前チャンスセンター
・名鉄観光名駅地下支店宝くじセンター
・栄エンゼルチャンスセンター
・阿久比アピタチャンスセンター
・四軒家フランテチャンスセンター
・稲沢アピタチャンスセンター
・春日井カーマチャンスセンター
・半田イオンチャンスセンター
ざっとこんな感じみたいですが・・・近場に売り場があれば是非買ってみたらいかがでしょうか?
ちなみに私は半田イオンチャンスセンターかな^^
宝くじに少しでも感心がある方、私は本店にいますのでいつでもお声掛けください。
お待ちしております(^_^)/
この情報局がUPされている時は、きっとサマージャンボが発売されているはずですので、
あなたも私と一緒に目指すのは、億万長者ですね(笑)
情報局の記事はここまでになります
次回もお楽しみに(*^^*)
記事担当:有楽センター 大西